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大阪地方裁判所 昭和44年(わ)142号 判決

本籍

大阪市北区曾根崎中一丁目五七番地

住居

兵庫県尼崎市東園田町三丁目八八番地

飲食業

山下正清

昭和一〇年一一月一〇日生

右の者に対する公務執行妨害・傷害被告事件につき、当裁判所は検察官森吉徳雄出席の上審理を遂げ、次のとおり判決する。

主文

被告人を懲役一〇月に処する。

本裁判確定の日から二年間刑の執行を猶予する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

罪となるべき事実

被告人は、

第一、昭和四三年一〇月一日午後一時二〇分ごろ、自己の経営する大阪市北区曽根崎中一丁目五七番地スタンド松屋二階店舗において、大阪北税務者勤務大蔵事務官西教弘(当時二八年)から、納税義務者として所得税に関する調査を受けていた際、その態度が横柄だと憤激し、やにわに手拳で同人の顔面を数回殴打して暴行を加えてその職務の執行を妨害し、

第二、更に 同日午後一時二五分ごろ、前記西教弘が被告人方店舗から逃げ出し、付近の公衆電話ボツクスから上司に電話連絡して出てきたのを目撃するや、右電話ボツクス付近において、なおも同人の顔面を手拳で数回殴打し、更に足蹴りして転倒させる等の暴行を加え、よって同人に対し、数日間の通院加療を要する顔面挫傷・左足挫傷を負わせ、

たものである。

証拠

一、被告人の当公廷における供述

一、被告人の司法巡査及び検察官に対する各供述調書

一、証人西教弘の当公廷における供述

一、証人井戸鉄身の当公廷における供述

一、医師行岡忠雄作成の診断書

弁護人の主張に対する判断

第一、弁護人は、本件西教係官の所得税に関する調査は所得税法第二三四条第一項のいわゆる質問検査権に由来するものであるところ、右法条の規定は憲法第三八条第一項及び同第三五条第一項に違反する違憲立法であると主張するのであるが、所得税法第二三四条第一項にいう質問検査は純粋に行政手続であつて適正な課税標準と税制の確定を唯一の目的とするものであり、憲法第三八条第一項、第三五条第一項は刑事手続における供述の不強要、住居侵入・捜索・押収に対する保障を目的とする規定であつて、行政調査手続を規定した所得税法第二三四条第一項には直接適用がないものである。もつとも、憲法の右法条の精神は行政手続においても尊重せられるべきものであるが、所得税の課税の適正公平を期しこれを阻害するところの国の課税権に対する侵害又はその危険を防止するため、税務職員に対し所得税法第二三四条第一項に規定するような質問検査権限を付与し納税義務者らにこれを受忍する義務を負わせることは税務行政上やむを得ない措置であるし、またそもそも所得税法第二三四条第一項の質問検査権には納税義務者らの事業に関する帳簿書類その他の物件の捜索・押収権限を包含していないと解せられるのであつて、いずれにせよ、所得税法第二三四条第一項の規定は憲法第三八条第一項、第三五条第一項に違反するものではない。

第二、次に弁護人は、西教係官の本件調査は本来の職務行為を完全に逸脱し職権濫用の行為であつて公務としての保護に価しないものであり、被告人がこれらの違法職務執行行為者に対して加えた暴行障害は正当防衛と評価されるべきであると主張する。そこで先ず大蔵事務官西教弘の本件職務行為の適法性について検討を加える。

証人西教弘、同井戸鉄身、同高栄利一の各当公廷における供述、被告人の司法巡査及び検察官に対する各供述調書、被告人の当公廷における供述の一部を綜合すると、次のような事実を認めることができる。すなわち、大阪北税務署所得税第二課では被告人の昭和四二年度の所得税確定申告額が、不動産取得のあつたこと及び本人の生活状態、同業者の利益率との比較等を勘案して寡少であるとの疑いを持ち、調査該当に選定し、同課々長高栄利一は水田上席調査官を通じて下僚の事務官西教弘に対し、被告人につき、帳簿の正確性、現金と帳簿との突合、取得不動産及びその購入資金の出所を調査するよう命じこれに基き、西教事務官は、被告人の事業が現金商売であることから調査を予告すると現金と帳簿とを合わされ不正をされるおそれがあるとの判断のもとに、予め事前通告することなく昭和四三年一〇月一日午前一〇時三〇分ごろ前記スタンド松屋を訪れたが被告人不在のため再度来訪する旨店員に告げて引揚げ、同日昼過ぎ再び来訪した。西教事務官は身分証明書と検査証を提示して所得調査に来た旨を告げたところ、被告人はこれを拒否することなく二階店舗のテーブルの所で同事務官の調査に応じ、昭和四三年度分の事業に関する帳簿書類(現金出納帳、仕入経費帳、領収書綴り)を見せた。昭和四二年度分の帳簿書類は園田の自宅に置いてあるというので、西教事務官は後刻自宅について行つてこれを調査するつもりで、その旨を告げた後、昭和四三年度分の現金出納帳を見たところ、九月二八、二九、三〇日の分が記帳されてなく、又青色申告提出の承認を受けているのに、売上伝票を破棄して全く残していないということであつたので、現金出納帳の記載内容の信憑性を疑う旨の発言をし更に現在の現金残高の明細な答弁を要求したところ、これに立腹した被告人はいきなり立ち上り、右手拳で西教事務官の顔面を一回殴打し、更に「警察でも何でも呼んだらええやないか」と言いさま手拳で更に数回顔面を殴打し、「調査ももうたいがいにしておけ」と言つてビール瓶を振り上げて殴りかかろうとしたので、西教事務官は本件調査を打切つて階段を逃げ下り、その後間もなく判示第二の犯行が敢行された。以上のような事実を認めることができる。被告人の当公廷における供述中右認定に副わない部分は前掲証拠に照らし措信し難い。

右に認定したように、被告人の昭和四二年度の確定申告額が適正でない合理的な疑いがあつたために、西教事務官が上司の命により本件調査に赴いたわけであり、決して西教事務官の恣意による調査ではなく、右の確定申告が正当であるかどうかを調査するために本件調査がなされたものであること、本件調査には事前通告なく突然の訪問調査ではあつたが、これは、被告人の提出した昭和四二年度の確定申告に合理的な疑いがあるものとして調査に出かけるのであるから、被調査者(被告人)の事業が飲食業という現金商売であることからして已むを得ない方法であつたと認めてよいと思われること、青色申告提出の承認を受けた被告人が売上伝票(原始記録)を昨日の分すらも残していないということで西教事務官が被告人の現金出納帳の記載内容の正確性に疑いを抱いたのはむしろ当然であつて、現金残高の正確な答弁を要求したこともかかる観点に立てば首肯できる処置であること、したがつて、前段認定の西教事務官の本件調査に職権濫用の行為があつたとはいい難く、西教事務官の本件職務行為は適法であつたということができる。

してみると、西教事務官の本件調査行為は職権濫用の行為で公務としての保護に価しない、との弁護人の主張は失当であり、したがつてまた、被告人が西教事務官に加えた暴行行為が正当防衛であるとする弁護人の主張もその前提を欠き失当たるを免れない。

適条

犯罪事実

判示第一事実につき 刑法第九五条第一項(懲役刑選択)

判示第二事実につき 同法第二〇四条(懲役刑選択)

併合罪加重 同法第四五条前段、第四七条全文

執行猶予 同法第二五条第一項

訴訟費用の負担 刑事訴訟法第一八一条第一項全文

(裁判官 川口公隆)

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